創世記ノ−ト(34)神のかたちの回復
そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。
神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女に彼らを創造された。
神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」 創世記1:26〜28

 すべての植物、すべての海と水に住む生き物、空の鳥、家畜、地をはうもの、すべての野の獣はみな、その種類に従って造られましたが、人だけは特別の者として神のかたちに造られました。
今日、多くの人は進化論という、確かな根拠と証拠の無い学説に振り回され、ある意味においてはマイルドコントロ−ルされているかのように、それを信じています。
特に学校教育がそれですから、ほとんどの人は、それが100%証明されている事実であるかのように受け入れ、何の疑問も持っていません。
そして、その結果人は、真の意味における人間とは何であるかという疑問さえ持たず、また持とうともしません。
 ここに現代社会の持つひずみの一つの大きな原因があります。
中学生が必要でもないナイフを持ち、それを振り回して人を傷つけたりする世の中。先生が、「もはや今の学校は、学校とは言えない。」とか、「学校に行くのが怖い。」言うような時代、何かが狂っていると言うほかありません。
また、自殺、殺人が日常茶飯事のように繰り返されるこの時代は、ほんとに一番大切な何かを見失っていると言えるのではないでしょうか。

 冒頭の聖句で示しましたように、聖書は、人間とは決して偶然に発生し進化して来たもの、いわゆる単なる霊長類の一種と言われるような存在ではなく、偉大な創造者であられる神によって、神ご自身のかたち、すなわち、神に似た者、または神の性質を持つ者であると言っているのです。
もしこの事が解り、それを信じたならば、人は自分の価値、存在の目的、生きるべき道を知って感動し、感謝し、生きがいと生きる喜びを体験します。その時人は、自分の命も、他人の命をも尊重し、大切にします。
 ここに、現代の世界、社会の失っているものがあります。
それ故、人は、世界は、日本は、あなたは、この創造者であられる神のもとに立ち返らない限り、問題の解決も得られず、滅び,すなわち、神の裁きに服する以外に道が無いのです。

 その様に言いますと多くの方は、「君は自分の信じているキリスト教と言う宗教に、私を引き込もうとするのか。」と言われます。
私は、主イェス・キリストを信じてからこれまで、約50年の信仰生活を続けさせていただきました。
また、キリストの福音を伝える伝道者として、これも約38年間生かされて来ましたが、ただの一度もクリスチャンとして生きる事を後悔した事はなく、もう一つ、ただの一度も他の人に、「キリスト教という宗教に入りませんか。」と勧めたこともありません。
私がお伝えして来たことは、「救い主キリストを信じて、罪の赦しと永遠の命を神から受けて下さい。あなたに命を与えて下さった創造者であられる神に帰って下さい。」と言う事だけです。

 今日の家庭及び社会の問題は悪化する一方で、しかも悪化のスピ−ドが急速に加わっています。犯罪を犯す人の年齢の低下と悪質化、それを止める決め手は何もなく、ただ手をこまねいているだけではどうにもなりません。

 さて、聖書はその原因が人間の罪、すなわち、神への反逆にあると指摘します。
またそれは、人間が真の人間の姿、神のかたちを失っているからであると告げているのです。
そして、聖書の示す救いとは、勿論救い主イェスによる罪の赦しと永遠の命の付与、神との命と愛の交わりの回復でありますが、それはまた、失っている神のかたちの回復でもあるのです。
ここに、聖書の中に出て来るユダヤの宗教家であるパリサイ人たちとイェスとの、税金問答に関する記事を引用してみましょう。

そのころ、パリサイ人たちは出て来て、どのようにイェスをことばのわなにかけようかと相談した。
彼らはその弟子たちを、ヘロデ党の者たちといっしょにイェスのもとにやって、こう言わせた。「先生。私たちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方だと存じています。あなたは、人の顔色を見られないからです。
それで、どう思われるのか言ってください。税金をカイザルに納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか。」
イェスは彼らの悪意を知って言われた。「偽善者たち。なぜ、わたしをためすのか。
納め金にするお金をわたしに見せなさい。」そこで彼らは、デナリを一枚イェスのもとに持って来た。そこで彼らに言われた。「これは、だれの肖像ですか。だれの銘ですか。」
彼らは、「カイザルのです。」と言った。そこで、イェスは言われた。「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」
彼らは、これを聞いて驚嘆し、イェスを残して立ち去った。 マタイ22:15〜22

 直接ではありませんが、ここには一つの重大な教えが示されています。
 その当時、ユダヤはロ−マの支配下にあり、重い税金が取り立てられていました。神に選ばれた民であると言う、いわゆる選民意識のとても強いユダヤ人たちにとっては、ロ−マに支配されているというだけでも、耐えられないような屈辱であるのに、重い税金を取られる事には、なおさら屈辱感と怒りを覚えていました。
ですから、もしイェスが、「税金をカイザルにおさめる事は、律法にかなっている。」などと言えば、ユダヤ人たちによって石打にされたでしょう。また、その反対に、「カイザルに税金は納めなくても良い。」と言ったら、直ちにロ−マへの反逆者として訴えられたでしょう。
これは、何とかしてイェスを無き者にし、あわよくばロ−マの権力を利用して死刑にしようとする彼らの巧みな罠、どちらの返事をしても逃げられないように仕掛けた罠でした。
 しかし、イェスは、その罠を巧みにくぐり抜け、彼らに突き返したのです。

 さて、ここにロ−マの発行しているデナリ貨があり、それには、皇帝カイザルの肖像と銘が刻み込まれていました。それによってこの貨幣は、ロ−マの主権と所有を明らかに示しています。
その当時の一デナリにはどれ程の価値があったのでしょうか。当時の男性の一日の賃金は大体一デナリであったと言われています。
従って裕福な人は別として一般の労働者には、やはりそれなりの価値があります。もし一人の人が一日苦労して働いて得た賃金のデナリを失ったとしたら、目の色を変えてそれを探したのでは無いでしょうか。

 人間ですらその様にするとしたら、まして神は、ご自身のもとから失われた神のかたちを持つ人間を探されるのは当然のことです。
ですから、神は、その一人子イェスを遣わされて、失われたものを探され、今も探し続けておられるのです。
ここで、ルカ15:1〜7に出て来るイェスの例え話を思い出しましょう。
百匹の羊を持つた羊飼いが、その一匹がいなくなったとき探し歩き、見つけたときにはその羊を肩にかついで帰り、近所の人たちを集めてともに喜びました。
そしてイェスは、次のように言われたのです。

「あなたがたに言いますがそれと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」 ルカ15:7

 では人間には、どのような神のかたちと銘が刻まれているのでしょうか。
 次の聖句を見ましょう。

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。 伝道者の書3:11

 この聖句には、次の三つの事が示されています。

 (1)神はすべての事に時を定め、最善の時に最善の事をして下さる。
 (2)神はまた、人のこころに永遠への思いを与えられた。
 (3)神は、無限の存在、全知全能であられるが、人は有限の存在で神のみわざのすべてを知り得ない。

 人間の心の深い所には神意識が刻み込まれています。
では、それをいかにして知る事ができるでしょうか。
 第一に、人間の世界には無神論と無神論者がいることは否定できない事実です。
   もし人間に神意識が無ければ、無神論が生まれては来ません。
 第二に、ある人たちに神の事を話しますと、怒りだします。
   神意識が無ければ怒るはずは有り得ません。
 第三に、人は人生の危機に直面したり、行き詰まったりすると神頼みをします。
   神意識が無いなら神頼みなどするはずはありません。
 さらに、人間だけが死後の事を何らかの形で考えたり、死人を拝んだり、祭ったり、供養をしたり、死人の祟りを恐れたりします。
そしてさらに、人間は偶像礼拝をします。
これらのすべては人間に神意識のある証拠であり、人はそれを失ってはいますが、神のかたちに造られた存在であるが故に、他の動物には無いものを持っているのです。
また、人間には良心があり、善悪の判断をしたり、人を裁いたりします。その上に、人の心には、因果応報、すなわち、善を行えば何らかの良い報いがあり、悪を行えば必ず何らかの悪い報いがある事を知っているだけでなく、それが無ければならないと言う思いがあります。
 この様に、他の動物には無いものがある事こそ、人が神のかたちに造られている証拠なのです。
私たちがその事に気づき、神のもとに帰るなら、神は私たちの中に住んで、失っている神のかたちを回復して下さいます。
 使徒パウロは、ガラテヤの教会の信者たちに次のように書き送りました。

私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。 ガラテヤ4:19

 また、エペソの信者たちには、次のように書きました。

それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。 エペソ4:12〜13

 これは勿論教会の事を言っているのですが、各個人にも当てはまります。
 この神のかたちの回復のために、神はひとりひとりの信者の中に御霊を住まわせてくださいました。
そして、御霊は信者の内にあって信者その人をキリストに似た者になるように、常に働いてくださるのです。

主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。 Uコリント3:17〜18

 これがクリスチャンの中に日々行われている神のかたちの回復のみわざですが、その完成の時は何時でしょうか。
それは、主イェス・キリストが再びこの世界に来られる時であり、その時はいよいよ迫っています。
それ故に、主イェスのご再臨はすべてのクリスチャンたちにとっての、最も大きな望みです。
 幾つかの聖句を最後にここに引用しておきます。

けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イェス・キリストが救い主としておいでになるのを私たちは待ち望んでいます。
キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。 ピリピ3:20〜21

私たちが神の子どもと呼ばれるために、−事実、いま私たちは神の子どもです。−御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。
愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。
キリストに対するこの望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。 Tヨハネ3:1〜3

祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イェスの栄光ある現われを待ち望むようにと教えさとしたからです。 テトス2:14

 「しかり。わたしはすぐに来る。」と主は言われます。
その前に私たちは、神の恵みによる救いを受けて、神のかたちの回復される働きを、日々体験させていただきましょう。
そして、それ以外に現在の混乱した世の中で、神のおこころに従って正しく生きる道がない事と、この世で安心して子供達を育てていく秘訣が、他に無いことを証しする証人として用いていただきましょう。