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| さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」 …あなたがたは決して死にません。 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」 創世記3:1,4,5 蛇を用いての悪魔の誘惑は実に巧妙です。そして、その悪魔は今も変わりなく働き続けています。 ですから、アダムへの挑戦はそのまま神への挑戦となり、それはイェスが地上におられた時にも荒野で悪魔は、イェスを試み誘惑して神への挑戦を宣告したのです。 では今日、悪魔の挑戦はどのような形で現れているでしょうか。彼は、何に対して挑戦を続けて来るのでしょうか。私は最近悪魔の挑戦が、高度な科学的なものをも用いていると考えています。 そこで今回は主として、三位一体の神への挑戦の角度から、考えてみようと思います。 もちろん三位一体の神への挑戦を、自分たちの教理面から長く続けているのは、エホバの証人たちであり、彼らの熱心は驚くほどで、その仲間をますます増やしています。 日本ではすでにプロテスタントの数を上回っているとさえ言われています。 ですから侮り難いクリスチャンへの挑戦と受け止めるべきです。 さて、私が現在教えられている事は、次のような事です。 それは、三つのものと関係していると考えられますが、その三つとは、いのち、人の住まい、そして霊の働きです。 勿論、三位一体の神は、その存在、本質、計画、目的等のすべてにおいて一体であられますから、これを分離して考えることは不可能ですが、そのみわざにおいては、三位の神がそれぞれの役割を果たされることのある事は、教会に関する働き、すなわち、エペソ1:3〜14を見れば明らかです。 そこでは、父はその計画において、この世界の基の置かれる前から教会をキリストのうちにに選び、天にあるすべての霊的祝福をもって満たされた方です。 また、御子なる神は、その血による贖いのみわざの実行によって、その計画を成就されました。 そして、御霊なる神は、そのみわざによる救いの福音を受け入れた人々に、その結果の御国を受け継ぐ保証の証印として、内住されるお方です。 そこで、この三位一体の神への無神論敵な敵対について、少し分類して考察してみる事にしたいと思いますが、それは次のような考え方となります。 (1)クローン・遺伝子操作(いのちについて) いのちに関しては、明らかに父なる神への挑戦です。 最近は、遺伝子操作やクロ−ンの事が、よくニュ−スにも取り上げられます。 ある国の学者は、クロ−ン羊が誕生した時、「我々は、神の領域にすでに入った。」とか、アメリカの科学者リチャ−ド・シ−ド博士(69)などは、「人間は神に近づく」と豪語して、クロ−ン人間づくりを宣言しています。 私が、このいのちによる挑戦を父なる神への挑戦であると言う理由は次の通りです。 これを考えていました時、クロ−ン羊のドリ−がふつうの羊と同じように、雌の子羊(ポニ−)を四月十三日に出産したという事が、スコットランドのロスリン研究所から発表されました。 これは世界中の研究者が注目していた事でした。 この事によって、ますますクロ−ン人間の事に対する恐れが、強くなって来たようです。 では、命についてまず考察しましょう。 a.父なる神は、いのちです。 私たちの主イェス・キリストの現われの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、避難されるところのない者でありなさい。 その現われを、神はご自分の良しとする時に示してくださいます。神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。誉れと、とこしえの主権は神のものです。ア−メン。 Tテモテ6:14〜16 それは、父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、いのちを持つようにしてくださったからです。 ヨハネ5:26 このいのちの源であられる神は、人間に特別のいのちを与えられました。すなわち、神のかたちと言う他に類例のないいのちです。 そのいのちは明らかに他の動物の持ついのちとは異なるものであり、種類に従って造られた動物のいのちと、神のかたちに造られた人間のいのちの間に、神がご自身の主権をもって設けられた境界を、決して越えさせてはならないのです。 また、この二種類のいのちの混合は許されるものではありません。 しかし、無神論的な学者たちは、それに四つの方法で挑戦しているのです。 1.進化論・・・・・・学説的に人間と他の動物をつないでいる。 2.医学の分野・・・・動物の体を用いて、人間の臓器を造っている。 3.遺伝子操作・・・・クロ−ン人間を造り出す事によって。 4.異体分娩・・・・・動物のからだを用いて人間の子供を生ませること。 *1998.4.28頃、欧米のある学者が発表したところによりますと、一匹の猿の頭を他の猿の体につないだと言う事です。 しかも、その猿は生きているとの事であり、これは将来は人間についても可能であると言いました。 ただし、今の時点では、脊髄だけはまだつなぐことが出来ないとの事、従って猿は生きてはいるが体を動かすことが出来ないと言う事です。 これも神への挑戦でしょうか。 神に反逆している人間のする事には、恐怖感とともに嫌悪感を強く感じます。 果たして神は、このような事を何時までも許し、放任されるのでしょうか。 b.御子なる神は、永遠の住まいを備えられる方です。 神が人類のために、住まいとして創造されたのが地球です。 そして、その地球上にエデンの園を設けられ、そこに人を住まわせられました。 それは、神のかたちに造られた人間のための特別の住まいでしたが、罪を犯した結果人はそこから追放されてしまったのです。 そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。 こうして、神はひとを追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。 創世記3:23〜24 人は罪を犯してエデンの園から追放されましたが、地球からは追い出されませんでした。神は人のために永遠のご計画の中では、すでに罪のない新天新地を備えておられました。 しかし、人がそこに住む事が出来るためには、御子なる神による贖いのみわざの完成が必要でした。 それまで、この地はあくまでも人のために造られた住まいです。 天を創造した方、すなわち神、地を形造り、これを仕上げた方、すなわちこれを堅く立てられた方、これを形のないものに創造せず、人の住みかに、これを形造られた方、まことに、この主がこう仰せられる。「わたしが主である。ほかにはいない。」 イザヤ45:18 天は、主の天である。しかし、地は、人の子らに与えられた。 詩篇115:16 地球の外に出た宇宙飛行士たちは、地球の外から地球を見て、「地球は青かった。」「地球は美しい星だ。」「地球はいのちの満ちている星である。」等と言って、皆口をそろえて地球の美しさを褒めたたえます。 しかし、その美しい地球が、人間の罪によって汚されて来ました。 物質的な豊かさと文明的な生活を追い求めて止まない人類は、環境汚染や環境破壊を平気で続け、大気も、水や土も汚染されて、この地球は住みにくい所となりました。 そして、宇宙科学や宇宙工学の進歩発達により、また、近代のコンピュ−タ−の開発によって、宇宙へ行く事が出来るようになりました。 そして、宇宙ステ−ションが間もなく、世界各国の協力によって造られようとしています。 アメリカなどのある学者たちや、報道関係者、各界のいわゆる大物と言われる人達の中には、本気で地球から宇宙への脱出を考えている人もいると聞いています。 勿論、地球上のすべての人間が宇宙へ行くことなどは不可能です。行けるとしたら、それは、各国の主要人物や大資産家などでしょう。 しかし、人の心に思い計る事のすべては、神の前には実行されたのと全く同じです。 主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。 創世記6:5 「『姦淫してはならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。 しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」 マタイ5:27,28 これが神ご自身の視点です。 そして、神の視点と人の視点は明らかに異なります。神の判定と人の判定も勿論異なります。 ですから、人が心の中で思い計画したことは、神の前では実行されたのと同じなのです。 宇宙への脱出の夢も、その意味においては、地球を人の住家として定められた神への反逆と、私自身は捕らえています。 また、神ご自身のご計画による人の祝福された永遠の住まいは、神の備えられた天の御国以外には有り得ません。 それゆえに、主は弟子たちとともに過ごしたあの二階座敷で、次のように言われました。 あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。 わたしの行く道はあなたがたも知っています。 ヨハネ14:1〜4 あれから二千年近くの歳月が流れました。 そして今、主が再び花嫁なる教会を迎えに来て下さる日が近づいています。その事を示す多くの事が、全世界に起こっているようです。 勿論、それが何年何月何日と言える人は一人もいませんが、主の地上に来られる事に関してのしるしが数多く起こっている事は、否定できないと思います。 それなら、その七年前に主が空中に来られて、整えられた花嫁なる教会を迎えられる日の近いことはわかる筈ではないでしょうか。 それはそれとして、主が約束された御国のすばらしさは、筆舌に尽くし難いものである事は、確かなことでしょう。 黙示録に示されているものを少し見てみることにしましょう。 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」 また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。 勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。 黙示録21:1〜7 御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。 もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。 もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。 黙示録22:1〜5 神が、その愛する御子の贖いを通して救われた聖徒たちのために、備えておられる御国のすばらしさは、そこに行ってみない限り知ることの出来ないものでしょう。 それは、使徒パウロが言った言葉の通りです。 …「目が見たことのないもの、 耳が聞いたことのないもの、 そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。 神を愛する者のために、 神の備えてくださったものは、みなそうである。」 神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。 Tコリント2:9〜10 遠い昔に、信仰の父と言われているアブラハムをはじめ多くの信仰の勇者たちが、信仰の目をもって見ていた天の故郷、確かにそれは各時代の救われた者たちの憧れのところ、唯一の望みの天国です。 これらの人々はみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。 彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。 もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。 ヘブル11:13〜16 神が、ご自身のみこころに留めておられる愛する者たちのために、備えておられるものはすべて最善、最高のものです。 神は、それ以下のものでは、絶対に満足なさらないお方であることを覚えて、感謝、賛美しましょう。 |