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今年も残り少なくなって参りました。 年末になると例年の如く10大(重大) 二ユースが発表されます。今年はどういうものが選ばれるのか気になるところです。この一年を振り返って気付くことは、少年犯罪の増加と低年齢化ではないでしょうか。それも年々悪質になり、最近、警察庁では少年犯罪でも凶悪なものや再犯の恐れのあるものは公表すると発表しました。また通り魔、誘拐殺人事件、親の子供に対する虐待など、ますます世相は暗く悪化の一途を辿っております。 外に目を向けると、アメリカのイラク攻撃があります。アメリカはイラクが大量破壊兵器を隠しているとの大義名分のもとに戦争を始めました。しかしその大量破壊兵器もいまだに発見されず、ブッシュ大統領が戦争終結宣言を発表したにも拘らず自爆テロは続発、治安は悪化益々混乱に拍車を掛けております。最近日本の有能な2人の外交官も殺害されました。戦争終結宣言は一体、何だったのかと思わずにはいられません。 そんな派兵賛成・反対の渦巻くさなか、政府は自衛隊のイラク派兵に向けて着々と準備に着手し、流動的ながらも来年2月には本体が出発と決まったようです。折も折、イラクのフセイン元大統領が拘束されたという衝撃的な二ユースが流されました。ブッシュ大統領はイラク国民がフセインの圧制から解放される日が来たと語りましたが、未だフセイン大統領の支持派反対派の双方のデモが行われて不穏の状態にあるようです。これで事態は収束に向かうのでしょうか。平和は来るのでしょうか。 経済的にも行き詰まり、内にも外にも難問山積みの日本丸はどの方向に向かうのでしょうか。世界はどのようになるのでしょうか。私には分かりません。ただはっきりしていることは、聖書は「今の悪の世界から私たちを救い出そうとして私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。」 と語っているということです。 この世界は悪の世界。悪魔が支配する罪の世界です。「終わりの日には困難な時代がやってくる事をよく承知しておきなさい」とも預言されています。今まさに激動の時代です。自衛隊のイラク派遣について、憲法九条の兼ね合いから、是か非か盛んに論議されています。私に政治の世界は分かりません。しかし正義の戦争などはありません。互いに人を殺しあう、これは罪です。 さて12月はクリスマスの月です。そう、クリスマスです。クリスマスはキリストの御降誕を祝うのです。なぜ全世界で多くの人たちによってキリストの誕生が祝われるのでしょうか? 理由は聖書(神様のことば)の中に示されています。 まず最初に、キリスト(救い主)の誕生を知らされたのは、貧しい羊飼いでした。み使いは、羊の群れを見守っていた羊飼いたちの前に現れて、キリストの誕生を知らせました。 「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように」 (ルカの福音書2章11-14節) そして、御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、天の軍勢の賛美の歌声に圧倒され、恐れを感じながら彼等はダビデの町ベツレヘムへと急ぎました。そこで飼葉おけに寝ておられるみどりごを捜し当てました。羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせました。羊飼いたちは、はからずもベツレヘムにて飼い葉おけに寝ておられるイエス様を拝することが出来ました。これがクリスマスです。ではキリストは、なぜ人の姿をとってこられたのでしょうか。 キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。どうか、この神に栄光がとこしえにありますように。アーメン。 (ガラテヤ1:4〜5) キリストが、私たち罪人を悪の世界から救い出すために、人の姿をとってこられ十字架の上に死んでくださいました。それは全人類の罪のため、個人的にはあなたの罪のために、十字架の死を受けてくださいました。これが福音のメッセージです。この福音により、キリストを救い主と信ずる者はすべて救われるのです。私はこのキリストの救いをいただきました。 さて12月4日、NHK大阪ホールにてレーナ・マリアさんのコンサートが開かれ、彼女の澄んだ美しい歌声にふれる機会を得ました。レーナさんは、重い障害を持ちながら、音楽活動を通して福音宣教に従事しておられます。集まった約1200人の聴衆からは盛んな拍手が送られていました。私は重度の障害を克服しながら宣教活動に従事している彼女の生き方に本当に感動しました。 障害者・健常者を問わず、神様を信じ信頼して歩むとき、生きる力と勇気が与えられると確信致しております。 「そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」 (ピリピ人への手紙4章7節) 神様は真実な方です。その約束は確実です。私は弱い、無力な存在にしか過ぎませんが、与えられた人生を主の働きのために燃焼し尽くしたいです。 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。 しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません。私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。 (ピリピ1:21〜23) この一年間神様の守りと励ましを感謝しつつ |