証し ーイエス様との出会いー

イエス様との出会い
 

 私が始めて福音を聞いたのは、多分(記憶を辿りながら)1947年(昭和22年)の頃でした。神田駅前をたまたま通りがかった時、2〜3人の方がかわるがわるお話をし、その回りを数人の方が取り囲むように聞き入っている集団に遭遇致しました,  

 胸と背中にサンドイッチマンのようにみことばを書いたプラカードを下げていた方が最後に、「よろしかったら提灯についてきて下さい」と案内して下さいました。言われるがままに着いた所は理髪店でした。三角屋根とステンドガラスの館と思い込んでいた私には、自分の描いたイメージとの違いにまず驚きました。中では聖書を開いて神様について語ってくれました。

 とにかく聖書を手にしたのは始めてで、小さい時に近くの教会の日曜学校に連れて行って貰った事を思い出す程度のものでした。

 そこで語られた神様は万物の創造者、全知全能なる唯一の神様と語られていました。聖書を見た感想は、新約聖書のマタイの福音書1ページに列挙されている人物の名前を見ただけで難しいなと思いました。1時間ほどして集会は終わり、後で質問にやさしく丁寧に受け答えをしてくれて非常に良い感触をもちました。「また来てね」との誘いに、「本当にそんな神様っているのかな?」と自問自答しつつ我が家に帰りました。それから心惹かれて集会に足を運びました。足繁く通い、福音に接して徐々に徐々にぼんやりながら神様の存在について知るようになりました。

「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はない。」(ローマ人への手紙1章20節)

 更に「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」 「どんなに神様を否定しても頭の脳裏から消えても、やがて神様の御前に立つ時が来る。…それは肉体の死のときです、それまで神様は一人一人に人生を与えて悔い改めを待っておられる」と、語られるその言葉には真剣みがあり、それは顔の表情にも良く現れておりました。その話を聞くたびに、「本当かな?もし、本当なら神様のみ前に悔い改めなければならない」という声と、「神様が愛なる神であるなら無条件にすべての者を救わないのだろうか」という声との戦いがありました。やがて長い求道生活の後、神様は信仰と言う恵の賜物を与えてくださいました。

  前述の如く田舎育ちの私が東京のど真ん中で福音に接するとはなんと不思議なめぐり合わせでしょう。1941年(昭和16年)太平洋戦争が始まり、やがて本土空襲も激しさを増していこうとする時、私たち家族は理由があって東京に移住しました。多くの人が田舎に疎開するという時に私たちは逆でした。落ち着き先は麹町区富士見町と言って靖国神社の裏手に当たる所でした。目的地に辿りついたのが夕方でした。まもなく通信兵として入隊(現役志願しておりましたので)のため浜松へと向かいました。1945年8月15日終戦迄、東京を離れていましたので東京大空襲には遭いませんでした。しばらくして我が家に帰りそれから東京生活が始まりました。

「彼らの道には破壊と悲惨がある。また、彼らは平和の道を知らない。彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」 (ローマ人への手紙3章15-18節)

 戦争へ戦争へと走っていった日本、多くの若い人たちは妻や子供、父、母を残し戦場へと駆り出されて行きました。私も現役志願までして軍人に憧れたのですが、僅かな軍隊生活を通し戦争の愚かさを知ると共に、死そのものに思いを馳せるようになりました。

「あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。」(㈵ぺテロ1章18-19節)

 神様は聖書を通し、自然界を通し、あらゆる被造物を通してご自身を示してくださいました。そればかりでなくご自身の御子主イエス様を私の罪のため十字架に架けて罰してくださいました。 

「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。」(ローマ人への手紙4章25節)

 幸いにしてイエス様を信ずる信仰によって救いの確信が与えられ、多摩川にて藤本善衛門兄を通してバプテスマを受ける事が出来ました。福音に接して信仰が与えられたことは神様の導きと感謝し、喜びでいっぱいでした。

 数年間の東京での信仰生活の後、名古屋に導かれました。北本兄を通して妻と結婚の話が成立した際、「ローワー兄と黒田兄が名古屋で主様の働きをしておられるが手助けをして見ませんか」と言われました。「自分が…」と一瞬驚きましたが祈りのうちに言われるがまま、1945年(昭和29年)名古屋へと赴きました。そして当地の兄弟姉妹との交わりと福音の働きが始まりました。

 名古屋での生活、ローワ兄、今は亡き黒田兄、尾垣兄、成田姉妹等との幸いな交わりが今懐かしく思い出されます。当時名古屋の集会に北本兄がよく応援に来てくれました。

 それから1965年(昭和40年)大阪淡路の集会へと導かれました。

 北本兄の姿勢には心から心酔致しておりました。信仰の姿勢、集会生活には非常に厳しい兄弟でしたが個人的には優しくよく面倒を見てくれ教えられる点が多くありました。その後1984年(昭和59年12月9日)田中兄姉宅において三ノ瀬集会とし発足し、87年(昭和62年10月16日)現在地に移り活動しております。現在私は30数名の兄姉方と共に布施の集会で働いています。
これが私の遍歴のあらすじです

「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」(ピリピ人への手紙1章21節)

「私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」(ピリピ人への手紙3章20-21節)

 主様の証し人として更に歩みたいです。