目的に向かって 

神の目に見えぬ本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。(ローマ1:20)


最近、緑地公園に散歩に出かけました。桜の花が美しく咲き誇り、(肌寒い感じでしたが)春がきたのだなーと感じました。普段どこにあるか分からないような桜の木が季節と共にパッと咲き誇り私たちの目を楽しませてくださいます。一体どこにそのような力が潜んでいるのか?と思わずにはいられません。それは創造の神が命を与えておられるのです。聖書には世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないとあります。春、夏、秋、冬四季折々の風情は神様の存在を裏付けるのに十分ではないでしょうか。

一年三百六十五日で地球は太陽の周りをまわり、また、一日二十四時間を自転をしているーこのこと自体、実に不思議なことです。この自転、公転によって昼夜の別があり、四季の変化があるのです。実に美しくバランスよく創られてるこの宇宙。それは、万物の創造者でいらっしゃり、すべてのものをつかさどっている神様によるものです。この自然にふれるごとに、主を誉めたたえずにはおられません。

昨年、各地で豪雪による被害を受けました。自然には適わないと人はいいますが昨年から今年にかけて厳しい冬を思い起こすにつけてその自然の力を知らされます。また昨年来の大雨による出水被害といい正に神様の力の象徴です。これは、創造の神様を無視し神はいないを豪語する人類に対する警告ではないでしょうか。

最近私はペースメーカー植え込み手術をしました。救急車に乗せられたのは初めての経験ですしこのような大きな手術?(私にとって)をしたのは初めての経験でした。普段あまり意識したことのない私も心臓は常に休むことなく働き血液を全身に送り届けている。その働きによって生命が維持されている、と改めて知らされた時人体のメカニズムに驚かされました。

ちまたでは盛んに進化論が唱えられています。しかし、これは単なる論(考え)です。このように精巧に創られた人間が偶然の産物などとは到底考えられません。人間は目的を持って色々な物を作りました。当然ながら物には存在理由があります。神様は人間をある目的を持って創られました。

「そうだ!神様の御前に実を結ばせるために、神様の栄光を表すために、そこに私たちの存在理由があるのだ!」と、知らされました。

わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。(ヨハネ15:2)

私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。
しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません。(ピリピ1:21ー22)

まことに、その人は主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ。
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。(詩編1:2ー3)

神様はこのような愚かな、弱い存在である私にもそれを求め支え導いてくださることを知ったとき只只感謝。