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この度一人の姉妹が天に召されました。アッという間の出来事でした。 姉妹は以前から甲状腺を患い病院に通院しておりましたが、召される前、甲状腺の治療のため2週間ほど赤十字病院に入院する事になりました。「大したことはないのですが、病院から入院中は面会中止の指示があり、2回ほどパン裂きの集まりには出席できません」との報告でした。次の日曜日には会うことができるのだな、皆さんがそう期待しておった矢先、状態が急変して、今日明日がやま場なので面会に行ってやってくださいとの緊急報告が入りました。7月2日(木)夕方でした。 翌日家内と一緒に病院に駆けつけました。兄姉方とは院内でぱったりとお会いいたしました。私たちは面会いたしました。早く行ってあげてとの声に促されて病室に入りました。病室には妹さん、息子、娘の二人の子どもさんと近親者の方でしょうか付き添っておられました。姉妹は、もうすでに意識はなく、妹さんより経過報告を受けました。30分位でしたか別れを告げ退出いたしました。 その晩22時頃でしたか、「姉妹が召されました」の報を受けました。死亡時刻は7月3日(金) 21時5分とのことでした。なんと人生は儚いものでしょうか…実感させられます。 「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。(詩編90篇10節)」 翌4日(土) 19時30分より 偲ぶ集い 5日(日) 14時00分より 召天記念式 伝道集会をやめるわけにはいかないので二手に分かれて行われました。 偲ぶ集い、召天記念式は新聞報道されません。テレビ報映されません。 姉妹は、私たちの知り得ない苦しみや、悲しみを経験しつつ世のしがらみの中を主に仕え、主とともに歩み、主の御許に召されていきました。一個人は小さな存在にすぎません。 「しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。(へブル人への手紙11章16節)」 「もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。(コリント人への手紙第一15章19節)」 「しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。(コリント人への手紙第一15章57節)」 姉妹は主にあって生き、主にあって歩み、主の御許に召されました。姉妹は主の憐れみによって主の御許に勝利の凱旋をしたのです。 「けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。(ピリピ人への手紙3章20-21節)」 私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年……。すべては神様のご計画のうちにあります、が生涯を通してして小さき働きをしていきたいと思っています。 |